宥貴のお寺日記

津島の奥の院・宝寿院の日常を、新米尼僧が細々と綴っております。 

動物の命

昨年末あたりからニュースでよく耳にする鳥インフルエンザ

 

名古屋の辺りでも、東山動物園がその影響でつい最近まで休園していました🙌🏻

 

毎日のように、

◯◯県××市内の養鶏場の鶏から高病原性鳥インフルエンザウイルスの陽性反応が出た問題で、この養鶏場で飼う鶏約◯万羽の殺処分を終えました。

 

なんてニュースを耳にしますね。

 

またかぁ・・・

養鶏場の人達は本当にショックだろうな。。

 

と思うと同時に

 

◯万羽の鶏🐓の殺処分って・・・どういう光景なんだろう。

 

と、頭をよぎります。

 

 

 

 

わしらが小さい頃はどこの家も鶏を飼っとって、ご馳走といえばヒキズリ(この辺りでいう鶏鍋のこと?らしいです)だったわ!

そうそう^_^でも鶏シメるの本当にイヤだったわぁ〜。鶏の羽縛り上げて首をスパッと切ると血がドバーッとでて、血抜きしたら熱湯に入れて羽を毟って残りの細かい羽毛は火で炙って・・・(略)

 

 

 

なんて昔を懐かしんでお話して下さるのを聞くと、

 

ひぃぃ・・・凄っ(^-^;

ご馳走にありつくハードル高いなぁ・・・

 

 

ゆとり世代の私は戦慄するのです。。

 

 

 

 

 

 

私は養鶏場にも養豚場にも行ったことがありません。牧場は、「牧歌の里」みたいな観光牧場くらいしか行ったことがありません。

 

でも、鶏も豚も牛も魚も皆んな解体されて、調理するばっかりになってスーパーに並んでいます。

当然、生きていた動物が死んで、その肉がパックに並んでいます。

それはつまり、育てた動物を誰かが殺している訳です。

 

 

 

昔はお肉を食べようと思ったら、

先ず生きている動物と顔を付き合わせて、暴れて鳴き叫ぶ動物を取っ捕まえて、先程の「血がドバーッと出て」のくだりを顔をしかめながら経験しないといけなかったのですが、、

 

今は私達がそれを目の当たりにする事なく、スーパーの何ともこざっぱりとした棚に整然と並んでいるお肉のパックをカゴに入れるのみ。

 

 

毎日私達の食卓に上がる新鮮な「肉」になる為に死んでいく動物達。

肉になる動物を獲ったり育てたりして、最期の命のやり取りを人知れず請け負ってくれている方々。

鳥インフルエンザの被害拡大を防ぐ為、地中に埋められる何万羽のニワトリ。

その作業にあたる方々。

 

快適で健康な生活の恩恵に預かっておきながら、そんな光景を見た事もない私です😞💦

 

 

 

昨年の秋ごろ。

宝寿院にメールでの問い合わせがありました。

 

その方はある研究機関の職員で、度々動物を用いての実験を行っているとのこと。その為、これまで命を落とした動物の供養をしたい

とのことでした。

遠方にも関わらず宝寿院にご連絡を頂いたのも何かご縁を感じました。

年末、その方の仕事納めの日に実験動物のご供養をさせて頂きました。

 

それまで私は動物実験に対してそんな明確なイメージは無くて、

例えば普段使う石鹸とか化粧品とかで似たような内容なら動物実験をしていません✨と謳っているメーカーで買っとこう🐱というくらいでした。

 

しかし、もっと私達の生命に差し迫った、医薬品だとか高度医療などある分野の現場では、そういった動物による検証というのはどうしても避けられないというのも理解できます。

 

その方からご供養後お手紙を頂きました。

研究の為とはいえ、自分で育てた動物の命を奪うというのは本当につらい、

という内容が書かれていました。

 

 

皆さんどう思われますでしょうか??

 

 

いずれ命を奪う事になるんだからなるべく愛着を持たないように。と思って育てていたって、

実験の日、狭い飼育ケースから取り出した動物の温かさを手に感じる切なさ・・・

 

現場の方の気持ちを想像するだけで胸が苦しくなります。

 

 

動物実験反対と、言うのは正しいです。

しなくて良いのならしないのが一番。

しかし、その恩恵をある程度受けて今日まで元気に生きてきた可能性が高いと思われる私は、

何とも答えの出しようがありません。

 

そして、そういった現場で動物と対峙するある一人の方が、犠牲となった動物の為に供養をしたいと思ってお寺を探されたんですよね。。

 

 

どんな場合でもそうですが、そういった方々の気持ちに僧侶としてどうしたら良いのかといつも思います。私には気の利いた言葉も経験も無いので、ただただ今出来る全てでお勤めするのみ。というか、それ以上のものは本当は無いのかもしれないですが。

 

 

 

 

 

今日のテーマは何でしょう?

人・動物・命?なんと重くて広いのでしょう💧

私がこの大風呂敷を収めるにはまだ思慮も文才もないので、ごめんなさい、中途半端でおわります(;ω;)

 

 

 

仏教では私たち人間も、人間以外も皆同じ。「衆生」としてそれぞれの命を燃やしています。

その命の中には全て例外なく仏様がいます。

そういった意味ではフェアなんですよね。

 

 

しかし普段私たちは命を頂くのに、受ける痛みが無さすぎるんでしょうね😔

 

 

今日も人間の為に動物が死んでいきます。

今日も誰かがその現場で苦しみに耐えているかもしれません。

 

 

 

 

 

 

今日郵便局で余った年賀はがきを切手に変えてもらったのですが、、

 

 

 

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こんなに動物さんシリーズがあるんですね🐾

 

2円のうさぎちゃん🐰には度々お世話になりますが、カモシカとかサルなんて初めて見ました💨

 

 

 

 

人間の命、動物の命、、

 

 

 

この四種類の動物と腹ペコ状態で遭遇しても、私、誰にも勝てる自信無いです。。