宥貴のお寺日記

津島の奥の院・宝寿院の日常を、新米尼僧が細々と綴っております。 

刑務所にて涅槃会

 

先日、愛知県みよし市にある名古屋刑務所で涅槃会をお勤めして参りました🙏🏻

 

涅槃会とは2月15日のお釈迦様のご命日に行う法要で、常楽会ともいいます。

「仏教」は仏(ブッダ=お釈迦様)の説かれた教え。世界中の仏教徒がお釈迦様のご遺徳を偲びます。

 

※宝寿院でも2月15日午前11時~ささやかな法要をお勤め致しますので、ご興味のある方はどうぞお参りください^^

houjyuinn.net

 

 

刑務所での涅槃会法要は、宗派の教誨師をなさっている方々が毎年この時期に数人で行っているのだそうです。この度はお声掛け頂き参加させてもらえることになりました!

 

【「教誨師」とは?】

ところでで、皆さんは教誨師という方々をご存知でしょうか?
刑務所や少年院などの矯正施設や拘置所で道徳や倫理などを指導したり、受刑者の精神的なケアをする方々です。お坊さんだけでなくキリスト教の牧師さんなども多いそうです😀
映画やドラマなどでも受刑者が教誨師と思われる人と面談するシーンなんかを見たりしますね。

あとは、受刑者の希望に応じて大切な方の年忌法要を務めたり、受刑者が亡くなった時はお葬儀をお勤めしたりもするそうです。

 

 

【壁の中】

名古屋刑務所には専修学院にいる時に一度見学に来たことがありましたので、実は2回目なのです!

刑務所の「壁の中」に入るには外部の病気を持ち込まない為にマスクを付けたり体温センサーがあったりします。あともちろん携帯スマホは持ち込み禁止です💦

 

大きな涅槃図を掲げて法要をお勤めしました🙏🏻

信教の自由の観点から参加は任意ですが、沢山の受刑者の方がご参列下さいました。

昔は一緒にお経を読んだり、涅槃会の後に歌の会があったりしたそうですが、年々制約が厳しくなり今は出来ないそうです。

集団で一斉に声を出しているどさくさに紛れて受刑者同士がやりとりをするのを防ぐ為だそうです😵

一番驚いたのは、合掌してお参りする事もダメなんだそうです❗️居室で過ごす時はある程度は自由だそうですが、少なくとも集団の時は背筋を伸ばして手はお膝!

真言宗の根幹は「身・口・意」を仏様と一体にする「三密行」。手に印(合掌)を結び、口に真言(お経)を唱え、心の中で仏様のイメージを凝らします。

五体満足な方々がこの時点で身と口がアウトだなんて・・・💦

 

この程度の自由もないのか!

・・・といっても、見えないところには何らかの被害にあわれた方々がいるのでしょう。

その立場からしてみたら、イヤイヤ(笑)こんなもんじゃ済まんだろ!と思えますもんね💧

 

人を罰するということ

犯した罪を償うということ

 

あまり気にしたことがありませんでしたが、考えれば考えるほど難しいですね。

 

 名古屋刑務所内には工場とよばれる施設があり、受刑者の方は全員ではありませんが労働義務があります。つまり比較的長期的間服役する懲役刑の方々が多いそうです。

皆さんマスクをされていたのでよくお顔は見えませんでしたが、何となく高齢者の方が多いような印象を受けました。

傷害、窃盗、詐欺など色々な事情があってやってきた方々ですが、中でも違法薬物の常習は本当に多いそうです。

 

 

【社会の法律と仏教の法】

法律は時代によって変わります。

昔は敵討ちがokだったり、斬り捨て御免😝なんてこともありました。逆に、そう遠くない未来「たばこなんてヤバいもん昔は皆んな普通に吸ってたの?!!」なんてことにもなるかもしれません(@_@)

 

しかし、仏教の法(教え)は2500年前も現代も変わりません。

 

例えば、「十善戒」というものがあります。

 

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・不殺生(ふせっしょう)むやみに生き物を傷つけない
・不偸盗(ふちゅうとう)ものを盗まない
・不邪婬(ふじゃいん)男女の道を乱さない
・不妄語(ふもうご)うそをつかない
・不綺語(ふきご)無意味なおしゃべりをしない
・不悪口(ふあっく)乱暴なことばを使わない
・不両舌(ふりょうぜつ)筋の通らないことを言わない
・不慳貪(ふけんどん)欲深いことをしない
・不瞋恚(ふしんに)耐え忍んで怒らない
・不邪見(ふじゃけん)まちがった考え方をしない

 (総本山智積院ホームページより引用)

 

 

人を傷付けたり悲しませたりすると、自分自身も安らかな心の境地から離れていってしまいます。
自分の心や身体をを貶める事も避けなければいけません。

 

十善戒に書いてあることは全て、自分と他者の事を考えれば当たり前の事です。それは分かります。

 

しかし、そんな当たり前の事もなかなかできないのが私達・・・😭

 

 

 【自らを省みる】

今回、法要に先立ちある教誨師の方がこんなことを仰いました。

 

「人は間違えるものです。しかし、間違える事が悪いのではないのです。間違えた自分を省みない事が悪いのです。」

 

私は行った事がありませんが、地域によってはお坊さんが月に二回集まって、犯してきた罪を告白懺悔し合う布薩(ふさつ)という集まりがあるそうです。

凄い会ですよね・・・😅

 

しかしお釈迦様以来、仏教では懺悔(さんげ)すること、自分の行いを省みることに重きをおいてきました。

自分の心をさらに高めるために懺悔をします。

 

2月になってから私も朝のお勤めでお唱えしております、お釈迦様の最後のお説教をまとめた『佛遺教経』というお経があります。

そこには、「反省する心の無い者はケモノと同じだ」と厳しくおっしゃる場面があります。

 

ドキっとしますね💦

 

自分でも目を背けてきた自分自身を、ほじくり返して見つめ直すって本当に辛いことです。

況してや人に聞かれるなんてムリ!!なんてこともありますよね🙇🏻

 

しかし、仏様は決して責めたりはしません。ありのままの私達を受入れて下さいます。

 

お寺やお仏壇の前で、素直な心で仏様と語り合う時間を持ちたいものです🙏🏻✨

 

 

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刑務所エントランス付近にある碑。

「近代宗教教誨発祥の地」とのこと。

今回ご一緒させて頂いた教誨師の方々の中には、死刑囚の方々の所に行っている方もおいででした。

興味深いお話をたくさん聞けましたが・・・

私には心にズドン!と乗りかかってきた数々のお話について、まだきちんと自分の考えをまとめられません。。つくづくペラッペラな私です🙇🏻

 

しかし、科学がなんでも解決してくれるよね!といった意識の根強いこの時代においてなお、「宗教」が実際の現場で求められています。

 

「生」→「死」の瞬間→「死」の先についてを扱う宗教という世界に僧侶として身を投じた以上、逃げずに誤魔化さずにいたいと思うのです。