私事で大変恐縮ですが、
本日私、結婚式を挙げました。
春のうららかなお天気の中、沢山の方々に祝福して頂き嬉しく思います🌸
夫とはかれこれ10年近く付き合いがあり、私がお坊さんになる決心をして修行に行っている時も陰ながら支えてくれていました🙏🏻
ちなみにお婿さんでもお坊さんでもなく、システムエンジニアの仕事をしておりますので日中お寺にいる事は少ないですが、もし居たらお気軽に話しかけてやって下さいね🙇🏻
(☝︎かなり可愛すぎますが、似顔絵です笑)
私は今後も一層お寺を頑張って参りますので、変わらずよろしくお願い申し上げます🙏🏻
お寺のブログでのご報告、お許し下さい🙇🏻
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実は、僧侶でありながら結婚をするという選択をすることに長い間随分迷っていました。
そのことについて度々相談していた専修学院の同期がこんな詩を教えてくれました
『成人の日に』
人間とは常に人間になりつつある存在だ
かつて教えられたその言葉がしこりのように胸の奥に残っている成人とは人に成ること
もしそうなら
私たちはみな日々成人の日を生きている
完全な人間はどこにもいない人間とは何かを知りつくしている者もいない
だからみな問いかけるのだ
人間とはいったい何かを
そしてみな答えているのだその問いに
毎日のささやかな行動で
人は人を傷つける人は人を慰める
人は人を怖れ
人は人を求める
子どもとおとなの区別がどこにあるのか子どもは生まれ出たそのときから小さなおとな
おとなは一生大きな子ども
どんな美しい記念の晴れ着も
どんな華やかなお祝いの花束も
それだけではきみをおとなにはしてくれない
他人のうちに自分と同じ美しさをみとめ自分のうちに他人と同じ醜さをみとめ
でき上がったどんな権威にもしばられず
流れ動く多数の意見にまどわされず
とらわれぬ子どもの魂でいまあるものを組み直しつくりかえる
それこそがおとなの始まり永遠に終わらないおとなへの出発点
人間が人間になりつづけるための
苦しみと喜びの方法論だ
結婚した事を喜ぶ自分がいる一方で、「犀の角の様にただひとり歩め」から離れることに後ろめたさを感じる自分とが未だ混在しております。
でも私の中にはいついかなる時にも曼荼羅の血が流れ、仏様の御手に導かれながら人間として生きています。
有難い事に、夫やその家族は私が僧侶として生きたいという気持をとても尊重してくれています🙏🏻二人で歩む道にもまた違った味わいがあるといいなぁ^ ^
未熟な私達ですのでどうぞご指導下さい🙇🏻
ささやかな日々に感謝と感動を重ねながら人間として成長し、皆さんの心に寄り添える僧侶となれる様今後とも精進して参ります💪
今日もお読み頂きありがとうございました!
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真言宗智山派 宝寿院
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