さて、前回の続きです🐾
友人と合流しまして、車で北へ北へと走ります🚙💨
着きましたのは信州善光寺✨
私は長野に行っても富山方面や八ヶ岳の方ばかりで、こちらの新潟方面にはあまり来た事がありませんでした。
善光寺に一度はお参りしてみたい🔥という気持ちを例の七味唐辛子で紛らわすばかりの日々(;ω;)
ようやく訪れる事が出来ました🙏🏻✨
一光三尊の阿弥陀様にゆっくりお参りさせて頂いてから、有名なお戒壇巡りをしました💨💨💨
真っ暗闇のまさに「無明」。
ひぃ〜何も見えん(´⊙ω⊙`)!
と思いますが、今の私達もこの真っ暗闇と同じ状態なんでしょうね。
あらゆる事が目で見えているつもりでいても、本質的な事に関してはまさに盲目。皆んなこんな暗闇の中手探りで進むようにおっかなびっくりです💦その暗闇を照らしてくださるのが仏様の教えなんですね🙏🏻
ほら・・・明るい出口が見えてきました✨
ふう(*´ー`*)やれやれ。
と、入り口付近にあった看板に目をやると
「暗闇を巡り、本尊壇の真下にある『極楽の錠前』を探り当て、ご本尊と結縁して下さい」
錠前だとぉ?!
私そんなの触ってない( ;∀;)!
も、もう一回行ってきます〜〜ヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3
・・・まさかの二週目💦
何とか錠前に触れる事が出来ましたε-(´∀`; )
危ない危ないσ^_^;
圧巻の本堂前で🙏🏻
二日目は戸隠神社⛩に立ち寄りました。
以下、戸隠神社ホームページより引用
戸隠神社は霊山・戸隠山の麓に、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社です。
その起こりは遠い神世の昔、「天の岩戸」が飛来し、現在の姿になったといわれる戸隠山を中心に発達し、祭神は、「天の岩戸開きの神事」に功績のあった神々をお祀りしています。
平安時代末は修験道の道場として都にまで知られた霊場でした。神仏混淆のころは戸隠山顕光寺と称し、当時は「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれ、比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と言われるほどに栄えました。
江戸時代には徳川家康の手厚い保護を受け、一千石の朱印状を賜り、東叡山寛永寺の末寺となり、農業、水の神としての性格が強まってきました。山中は門前町として整備され、奥社参道に現在もその威厳を伝える杉並木も植えられ、広く信仰を集めました。明治になって戸隠は神仏分離の対象になり、寺は切り離され、宗僧は還俗して神官となり、戸隠神社と名前を変えて現在に至ります。
http://www.togakushi-jinja.jp/index.html
頑張って五社巡りをさせて頂きましたが、かつては寺院の建物だった名残りのあるお社や宿坊が沢山ありました。
長野は今でも信仰深い土地柄ですが、明治の頃の廃仏運動は結構激しい地域だったそうで、昨日の兎川寺さんも一度は廃寺になっています😭
神様も仏様も大切にする信仰が個人的には肌にあっておりますし、我が宝寿院の歴史にも廃仏の動乱を潜り抜けた過去がありますので感慨深い気持ちになりますね…
戸隠神社五社参りの一番最後に奥社と九頭龍社をお参りしましたが・・・
とにかく雪深い☃️💦
念のためスノーブーツを持ってきておいて良かったです👣
車道沿いの駐車場から、こんな状態になった参道をひたすら歩きます💨💨💨
人も全然いないし、雪のせいで怖いくらい静かです。
暫く雪の一本道を歩くと
突然朱塗りの大きな門が現れます!
まさに異世界への門。
ドキドキします・・・
門を抜けると巨大な杉並木が整然と立ち並んで、まるで神殿みたいです✨
樹齢400年を超えるそうですよヽ(´ー`)
前に歩いている人と比べてみると、その大きさがよくわかりますね!
30分ほど歩いてようやくお社・・・??と思われる場所に到着。
しかし、
完全に雪に埋まっております😱
4メートルくらいの積雪でしょうか・・・
はっきり言って、もう何処が何のお社か全くわかりませんし、 鳥居も潜れませんし、神様より上を歩いてしまってるようで気が引けてしまいます🙇🏻💦
兎にも角にも、お社らしきものの前でご法楽を差し上げ、無事お参りを終えました✨
この日は、タマちゃん🐱も待ってるし(親バカ。)早く帰るつもりでしたが、戸隠の神様方に呼ばれるようにフラッと立ち寄ったのでした🐾
雪で大変でしたが、お参りできて本当に良かったです🙏🏻✨
ちなみに、雪の無い奥社はこんな感じらしいです↓↓
参照http://sherpa003.exblog.jp/16451890/
面影無い・・・(^_^;)
おまけですが、
お猿さんにも会って来ました🐵
気持ち良さそうに温泉に浸かってました♨️
こんなん、一回入ってしまったら二度と出られないですよね😅
あと、
チャレンジする勇気が湧かなかったのですが・・・
ざざむし。。
:(;゙゚'ω゚'):
挑戦された事がある方はご一報下さい(笑)