先日、1月13日は先代住職の13回忌でした🙏🏻
先代・宥良は宝寿院31世住職。
今の住職のお母さん、つまり私の曾祖母にあたります。
今の住職はフリーダムというかエキセントリックというか(笑)感性豊かなカリスマ的な雰囲気なのですが、
先代は勤勉で真面目。知能派✨なタイプでした。
私達家族は「大きいおばあちゃん」と呼んで慕ってました😊
【大きいおばあちゃんの人柄】
大きいおばあちゃんは、若い頃学校の先生をしていた人で、ザ・大正の女という感じの人でした。
身の回りもきちんとしていて、寝る時まで和装。日々の記録も凄くマメにしてました。
とにかく勉強熱心で、先代が手書きで残してくれていた記録類は今も凄く役に立ってるんですよ✨
ぱりっとしていて厳しい面もあるのですが、
普段はニコニコして寺務所で何やら書いたり読んだりしてました📝
両親が働いていた為、夏休みになると私と妹は長期間お寺で過ごすのですが、
大きいおばあちゃんに宿題をみてもらったり、般若心経を教えてもらったりしました☘
あとは、お昼寝するとき子守唄を歌ってくれたりしました💤
「ねんねんころりよー」とか「赤い靴履いてた女の子」など。
その選曲がマイナー調といいますか、
不気味系のラインナップなんですよね^_^;
なんかめっちゃ怖いけど、おばあちゃん一生懸命歌ってくれてるし、、寝なきゃ(;ω;)💦といった心境でした笑
お昼寝タイムは8割くらい狸寝入りだったのも幼い頃の良い思い出です(*´ω`*)
【宝寿院 中興の祖?】
宝寿院は曾祖母(宥良)、祖母(宥宏)、私(宥貴)と、三代続けて尼僧がお寺を守っております。これはかなり珍しいケースだと思います😅
よく「ここは尼寺なんですか?」と聞かれますが、由緒としてはいわゆる尼寺とは違います。
この先男性が住職になる可能性は大いにあります。
曾祖母の夫(ひいおじいちゃん)が亡くなり、その息子(今の住職の弟・宥雅)が住職になったのですが、20代半ばで急死しました。
亡き息子のお寺を守る為、宥良さんは智山派で初めて尼僧として専修学院に入りお坊さんになります💪🏻
宝寿院に戻った宥良さんはお寺を再興に取り掛かります。今の宝寿院の境内や年中行事の大半は宥良さんの時に整備されたものです。
いまから50年程前です。
当時のお坊さん業界は今と全然違いますからね・・・💧尼僧はハッキリ言って不遇の立場にあった時代の中で、男性でも成し遂げることが難しい事業をやってのけたというのは本当に凄い事です🎌
亡くなって13年経つ今でも多くの人から尊敬され、皆さん懐かしんでお話しして下さいます☘️
私達家族にとっても自慢のおばあちゃんでした💐
私の母などは凄いおばあちゃんっ子です♨
【大きいおばあちゃんからの啓示】
大きいおばあちゃんが亡くなった時、私は高校三年生。セーラー服でお葬式に出てました(@_@)
当時はお坊さんになろうだなんて1ミリも思って居なかったのですが、、
それから数年後、私がお寺を継ぐべきなのか、どうしたら良いんだろうかとウジウジ迷っていた時期に、
あんたは坊さんやらんでえぇんか?後悔せんのか??
と、夢に出て来たのです。大きいおばあちゃんが。二夜連続で。
おや。宥貴さんが少しぶっ飛んだ事を言っているぞ?と、皆さん思うかもしれません(´・ω・`)
私も以前は不思議ちゃんと思われるのが嫌だったので、家族くらいにしか話さなかったのですが😅(坊さんなのに自身に起こった不思議な出来事を恥じるとは変な話ですが。。)
最近では自分でも色々体験したり信仰の深まりから、そのくらいの事は全然普通に有るわいな、と思っています♨
とにかく、結果的に大きいおばあちゃんの煽りというかダメ押しをきっかけに「私、呼ばれているんだねっ٩( 'ω' )و!」と確信(勘違い?)し意を決してお坊さんになったと言えるのです💪🏻
今でも色々な局面で、
大きいおばあちゃんだったらどうするかなぁ??とよく考えます。
大きいおばあちゃんが夏休みに教えてくれた般若心経もいつの間にかすっかり忘れてしまい、学院に入る直前必死で覚え直したという不甲斐ない私ですが、、
大きいおばあちゃん、もとい宥良さんが苦労して整えてくれたこの宝寿院を、頑張って守っていきます🙏🏻✨
頼りない私ですが、見守って下さいね 🙇🏻
私と大きいおばあちゃんのオフショット📸