宥貴のお寺日記

津島の奥の院・宝寿院の日常を、新米尼僧が細々と綴っております。 

奈良国立博物館の仏涅槃図

 

 

昨日、奈良に行って参りました🦌⛩

 

かつて宝寿院に所蔵されていた仏涅槃図(ぶつねはんず)が実は奈良の国立博物館に所蔵されていたという事実をふとしたご縁から知りまして、

 

yuuki-houjyuin.hateblo.jp

 

 

その後国立博物館の方に問い合わせてみましたところ、先方のご厚意で本物を間近で拝見させて頂けることになり行って来た次第です🐾

 

 

私は何故か奈良が大好きで、学生の頃からしばしば訳分からん所にある古墳などを見に行きました♨

同じ古都である京都も良いのですが、私にはキラキラし過ぎていて眩しい。。笑

奈良はゆったりしているし色々想像できて楽しいのです☘かつてここには国の重要な機関があって沢山の人がいたけれど今はおじいちゃんががっつり農業しています🌾という古の気配?ロマン?に心惹かれます。

何より奈良公園には鹿がいますしね🦌💕

 

昨日の朝は雨が強かったのですが、、、

 

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鹿さんは特に気にしてはいないようです😅

 

 

約束のお時間に伺うと担当の方が迎えて下さり博物館の奥に入れて下さいました。

博物館の展示スペース以外に入るなんて初めてでしたのでドキドキ💓

部外者ですので流石に収蔵庫には入れませんが、国宝や重要文化財がゴロゴロあるような場所ですのでとても厳重で、私の携帯電話はずっと圏外でした😳

 

 

別室に件の涅槃図が運ばれて参ります。

 

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そしてこちらが全容です。

 

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本当に美しい絵で、南無釈迦如来と手が合わさります🙏🏻

 

 奈良国立博物館のサイトでもこちらの絵は自由に見て印刷などもする事ができますので是非ご覧下さい↓

imagedb.narahaku.go.jp

 

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少し見難いですが、絵の端に

「慶元府車橋石板巷陸信忠筆」と書いてあります。

この絵は今の寧波(ニンポー:上海の少し南あたりに位置する古い都市)が慶元府と呼ばれたいた南宋時代に陸信忠(リクシンチュウ)という人によって描かれたものであるということだそうです。

 

寧波という場所は欧米列強がやってくる以前は今の上海のような役割で貿易港として栄え、このような優れた仏教美術や工芸品を製作する工房がたくさんあったそうです。

日本は鎌倉・室町あたり。禅僧などが多く中国に渡っている時代でもあるので、寧波で作られた作品は日本にも多く入ってきているようです。

 

この涅槃図はどのようにして海を渡り、いつ頃津島にやってきたのかは残念ながら不明ですが、表装の上の方に「天王御宝物」と書かれています。

 

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図録やネットで見たものは図絵のみが切り取られているのでわからなかったのですが、実物にはこうして尾張津島の天王社にあったという名残がきちんと残されていて鳥肌が立ちました!

このような貴重な絵画が天王社にあったという事は、当時の津島の政治経済文化面でいかに繁栄していたかを物語っているそうです。

特に愛知県と言うのは現代の我々が想像する以上に交易面で発達した地域だったそうで、今でも文化財研究の業界ではホットスポットなのだそう。知りませんでした!

 

 

 

さて、絵についてもう少し見ていきましょう。

日本でよく描かれ今でもよく目にする涅槃図はなかなか賑やかで、たくさんの神様、人、動物が描きこまれ一枚の絵で物語になっているような構成です。

 

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こちらは京都国立博物館所蔵の仏涅槃図ですが、随分違いますよね!

 

私はこういう涅槃図も色々な物語があって好きですが、実際のお釈迦様の最後はもっと静かでひっそりとしたものであったと想像します。

お釈迦様の最後を綴った大パリニッバーナ経というお経には、弟子のアーナンダが「お釈迦様ともあろうお方が大勢の立派な人々に看取られずこんな寂しい場所で亡くなるべきではないのに!」というようなことを言って号泣する場面があります。

 

そういった点では、何人かの弟子に見送られて、、という旧宝寿院所蔵の涅槃図はなんだかアーナンダの悲しみに共感できるような風情があるようにも思います。

 

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たこの絵は、当時中国で執り行われていた涅槃会(ねはんえ)の様子を反映したものであるというふうにも考えられているようで興味深いです!

確かによくよく拝見すると、手前で異国風の二人がダンス(?)してるし、場所も雲の中のフワッとした抽象空間ですし、よく見ると弟子たちもお釈迦様の寝台にちゃっかり乗ってるし!!

ということは、壇の上にお釈迦様の最期の情景イメージを構築して、手前で別時代のお坊さん達が涅槃会の供養をしている絵であるという見方も納得できますね。そう考えるとなんだか密教的でもあり面白いです。。

 

 

今から少なくとも七百年は前に描かれた絵でありますが、驚くほど状態も良く緻密に描きこまれ、彩色も鮮やかなまま保管さてれいます。

お話をお聞かせくださった絵画部門主任のTさんからも、「特にこの赤色は日本の顔料では出せない発色で素晴らしい」と専門家ならではのマニアックな見解を頂きましたヽ(´ー`)

 

 

明治元年神仏分離令の際、天王社から仏教関連の物が廃棄打ちこわしから免れ神宮寺であった宝寿院に移されました。その中の一つがこの涅槃図であり、当時の目録にも載っています。

神仏分離以降宝寿院を待ち受けていたのはけっして楽な道ではなっかったんですね。

他のお寺のように檀家を持たない神宮寺は、お寺の護持を自分たちでどうにかしなくてはいけません。特に戦後は農地解放で僅かばかりあった土地もGHQに没収され・・・

そんな困窮の中廃寺寸前になりながらも宝寿院の住職たちは境内で幼稚園をやったりどうにかこうにか本尊様と仏様の教えとお寺を守ってきました。

そのような動乱の中で泣く泣く手放していったものも沢山あったと思われます。この涅槃図もその一つだったかもしれません。

 

その奮闘の結果、こうして今も宝寿院が存続しているというのは本当に奇跡的であり、仏様のおかげです。

 

かつての津島の宝が重要文化財として国立博物館に華々しくメジャーデビューしているという事は素晴らしい事です!何より専門家の保護のもと安全に管理され、沢山の人にご覧いただけます。

 

 ただやはり仏教美術と言うものは宗教行為に用いる為に作られたものであります。つまり拝まれることで命が宿るのではないかと思うのです🙏🏻

 

今回奈良国立博物館様のご厚意のもと画像データをお借りして複製を製作させて頂く事も検討中です。

宝寿院の涅槃会で皆さんとお参り出来たら嬉しいです😀

 

 

 

とにかく、とても貴重なお話が沢山伺えました✨

来年宝寿院から皆さんとこちらの涅槃図を参拝させて頂く旅行を計画したいと考えています。またご案内させて頂きますのでその際は是非ぜひご参加下さいね🐾

 

 

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博物館を後にする頃には雨は上がっていました☀️

鹿たちも活動的になっておりました🦌🦌🦌

 

この後はTさんに教えて頂いたスポットなどを巡りますが、こちらはまた次回レポート致します😃

 

 

 

 

 

 

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